ヒッポに伝えた修道院が、彼の死後どうなったかはわからないが、彼が編纂したといわれる『聖アウグスティヌス会則』は、とくに12世紀以後、西ヨーロッパの聖堂参事会の準則として普及した。

しかし、西方における修道院拡大の主たる出発点となったのは、南フランスのレランス島、ロアール川に臨むトゥールのマルムーティエ、および聖パトリックによってキリスト教化したアイルランドである。

ローマのコンスルの家柄であったホノラトゥスによって5世紀初頭開かれたレランス島の散居修道院は、ローマの没落貴族を修道士として再生させ、ローヌ川流域一帯の教会、修道院の発展にとっての一大根拠地となったし、トゥールのマルティヌスは新興のメロビング朝フランク王国の守護聖人として、ガリアとイタリアにおける多数の新設修道院の被奉献人となる。

また、アイルランドは東方から伝えられた古代の文化遺産をたいせつに保存し、「知恵の乳房」とよばれて好学の者を集めたが、修道士たちはガリアにリュクスーユをはじめとする50以上の修道院を建設して不滅の功績を残した。

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